ちょうど子どもが、零点を取った試験の答案用紙を全部どぶの中に捨ててしまうようなものである。これではいな”だか正確な状況は何も掴めない。聞きだそうとすると嘘をつくかごまかすか、居丈高になって怒ってみせるか。ものごとがうまくいっている聞はそれでもよかったが、いったん歯車が狂いだすと、私にはどうしてそうなったのか、さっぱり様子が分からず、また軌道修正のしょうもなかった。ついに、家庭も仕事も、何もかも巻き込んで、ドウと倒れる日がくる。私は崩れていく城から命からがら逃げだしながら、ひどく彼を憎んだ。その憎しみはかなり長つぐない間続いていた。彼もそのことは気に病んでいて、特に息子たちへの償いにはエネルギーを使っていたようだ。だが、最近ようやく、を使って彼は本来の調子を取り戻したらしい。ののし電話してきて、それが留守番電話だと、すぐさま大声で罵りはじめるのだが、その声も内容も安部ピターバンに戻りつつある。「ヤイっ、ヘリベリ兄弟社め。何がヘリベリだいっ!へリベリプリプリおならeプリプリ、イヤイ」「コラ!?、こんな寒い日にどこ行ってんだい、またプルかあ。そんなにプールにばっか入ヤまた、プカパになっちゃうぞお」とても五十を過ぎた男とは思えないガキぷりだ。かたちなみに、彼が目の敵にしているヘリベリ兄弟社とは、私がコマーシャルや音楽製作の仕事をする時のためのグループ名で、名前から、誰か男と一緒に仲よく会社ごっこをやっていると勘違いして、怒鳴っているのである。ルがどうとかいうのは、運動する気力のない彼が、毎日のように泳いだりテニスをうらやしている私のスポーツライフを羨ましがって叫んでいるわけである。一時は、彼もあのまま墓場へ行ってしまうのかと淋しく思っていたので、この元気は嬉しい。もう手をつないで空を飛ぶことはないけれど、眺めて楽しむことはできる。あ育ちのよし悪し安部譲二はヤクザになって覚醒剤に四摺れたが、なんとか堅気に戻って遅咲きの花を咲かせた。師匠や周囲の人びと、そして運に恵まれたからに違いないのだが、それらを突きつめると、彼のw人間好者よという性格にたどりつく。そして、さらに「なぜだ?」と問えば、彼の生まれ育った家庭に行き当たらざるをえない。あもし、育ちのよし悪しが「周囲にどれだけ愛されて育ったか」で決まるとすれば、彼は間違い,参勺易、ることを忘れなかった。二人の息子は、よくご馳走になったり小遣いを貰ったりしていたし、運動会には応援にも来てくれた。

まあ稼げるほうが稼いで、あとは貧乏でも楽しくやっていこう、というわけだ。価値観を金には置かない夫婦だから、彼女みじんと頑張っている、という様子など徴塵もない。けている観があるため、それを支えている妻も覚悟の人じ由叩うちん山下氏のピアノや生き方がけっして軽くなく、今や、現代音楽の重鎮というような扱いを受であるかのように錯覚している人もいるが、これが全然違うのだ。自己犠牲の気持ちが強いと、反動として相手に求めるものが大きくなるし、不満も生まれてくる。長続きはしないだろう。日本には、昔から内助の功という言葉があるが、私はこの言葉が嫌いだ。これでは女はちっとも楽しそうではない。どこかに自己犠牲の匂いがする。一方的に妻が耐え、夫の犠牲になっている、というニュアンスが感じられる。そんなに尽くして、もし夫が出世しなかったとしたら:::?考えただけでも怖い。その点、一見呑気そうな山下氏の奥さんの生き方は、力みがなくて気持ちがいい。これも夫婦の聞で価値観が一致しているからだろう。男と女が別れる決定的な要因とはもう一組、よく似た夫婦がいる。持也念品有山市えに、つぎつぎに仕事でトラブルを起こす夫を黙々と陰で支えているのだ。彼女の場合は山下氏よりも少し深刻で、夫はかなりな奇行の人である。山下氏のように、最後はきちんと雨戸を閉めみさかるのを忘れない、という男ではない。ヵッとなると、前後の見境なく、雨戸も障子も燃やしてしまい、やがて夫婦して寒さに震える、なんてことをしょっちゅうやっている。そして、その極端な奇行ゆえに名声とはほど遠い。ただ自分の音楽に対しては神経質で、妥協はけっしてしない。したがっていつまでも貧乏である。奥さんは、その時々の生活費を稼ぐために喫茶店でアルバイトしたりしている。これは、もうまったく亭主を助けるためだ。しかし、彼女にもまた、深刻ぶったところは少しもない。みんなは、気分屋の亭主がこの無口な奥さんに当たり散らしているのを見て、奥さんも相当我慢しているのだろう、ああいうできた奥さんを持って彼は幸せだ、などと噂している。しかし、この夫婦もまた、閉じ価値観を持っているからこそ一緒にいるのである。山下氏と違って、いつまでも無名のままだが、その生き方はよく似ている。ジャズの世界は金儲けにはほど遠いから、スタジオをやらないジャズ・ミュージシャンと一緒になる女は、この、価値観の一致というのがなければ、一緒に生活していくのはなかなかむずかしい。

現実はそんなものではない。立派に通用する、銭ぜにになる、と思っていた技わざが、門前で断わられるのだ。それでも、まだ「好きなこと」にこだわれる人聞は、よほど自信があるか、頑固か、いずれにしても大多数は潰れてしまう。これでは食べられない、と分かった時、あるいは自信をなくした時、挫折してしまうのである。山下氏の場合は、高校時代からその才能は認められていた。だから、自信はあっただろう。だが、食べるのはむずかしかった。ジャズというのは、まったく食べられない世界なのだ。それを、ほかには色気も見せず、ひたすら自分のスタイルにこだわり続けたのは、彼にとって、この世で一番価値のあるものが、自分の音楽であったからに違いない。金を儲けて楽な暮らしをするより、自分の音楽を大切にするほうが、彼にとっては、はるかに充実した生き方なのだ。私はジャズの店をやっていて、本当は好きなジャズだけ演奏していけたらいいけど、それでは家族を養えないから、演歌の伴奏もやります、スタジオの細切こまぎれ仕事もこなします、というミュージシャンをたくさん見ている。彼らはジャズへの思いを、スタジオのムロ聞にライブハウスへの出演、という形で晴らしている。しかし、そういうミュージシャンの中から山下洋輔のように、自分の世界を作り上げ、地位を確立していった男は出現していない。いずれも、食べるほうに足を引っ張られていってしまった。ジャズの世界に限らず、男の中には山下洋輔のようなタイプが、きわめて少数だがいる。いずれも食べるために自分の技を使いたくない、世間に婿びることなしに生きていこうとする男たちだ。どこにでも通用する、もしくは合わせようと思えば、合わせられる立派な技術を持っているのに、ひたすらわが道を行く。女には、こういう生き方はできない。夢より現実の生活のほうを優先する女に、こういう生き方は無理だ。しかし、そういう男を愛することはできる。ひ金を稼ぐ力ではなく、価値観を評価して、そういう男に魅かれる女は、これまたごく少数だがいる。そういう女は夫同様、安定した生活を求めてはいない。彼女は、夫の才能に対して世間が払う金額が不当に少ないことを理解したうえで、一緒に暮らしているのである。だから夫に対して、もっと金を稼いでこいとは要求しない。山下氏の奥さんはピアノ教師である。だが、彼女は特に頑張って、家計を助けようとしたわけではなく、単に仕事を続けることが、結果としてそうなった、と言う。

気に入ったのは親分だけだったので、一応目的は達したといってよかった。さて、こうした過激な音で始まったライブハウスだが、それ以後、山下トリオが正式に出演しすごまわたことはない。なぜなら、その音の凄さに驚いた近所の家が一一番してお巡りが出動し、二日目からは、もっと穏やかな音を出さざるを得なかったからだ。この当時、風俗営業法というイマイマしい法律のおかげで、音を出している店は十一時には切彼らは音が出せると聞くと、ワッとその店に群がるのだった。そのうち、パカ騒ぎの合聞を縫って山下氏と会話を交わす機会もできた。そして、彼が実はひじように筋道の通った考え方をする男だと知って、私は驚いた。白目を剥いてピアノを弾き、酒を飲んではふざけ散らし、朝まで踊り狂っている男が、まるでソクラテスのように話すのだ。がほとんどなのだ。ところが、山下洋輔は例外であった。きわめて論理的な男なのである。それに加えて、ダラシないのが当たり前のミュージシャンの中で、珍しく礼を重んじ、ケジメというものをキチンとつける人間でもあった。陽気にパカ騒ぎしつつ、きちんとケジメをつけ、論文も書ける、という、あっちの端からこっちの端までを持っている、ちょっと異色のミュジシャンだった。才能の切り売りを臨む男異色といえば、ほかの、譜面が読めるジャズ・ミュージシャンは、食べるためにスタジオの仕事をやったり、学校で教えたりしているが、彼はそういうことは一切やらない。彼ほどの技術を持っていれば、スタジオでもたちまち売れっ子になって、家の一軒ぐらい楽に建てられるであろうに、だ。ジャズのライブやコンサートだけで食べていくのは、ずいぶん苦しいだろうが、彼は音楽で食べるのは自分の好きなやり方でなきゃ嫌、やりたくない音楽をやってまで食べていきたくはない、食べるために自分の音楽を売るようなことはしない、いくら苦しくても好きなスタイルで演奏し、それで食べていければ一番いい、と思っているのだ。もし食べていけなければ、それはそれで仕スタンダードやポップスではない、難解な前衛ジャズで食べていこうというのだ。おれはこういうのが演やりたいんだ、聴きたいやつは聴きに来い、と言っているのだ。彼の奥さんによると、彼の「好きなことで食べていく」という姿勢は、若い時から一貫して変わらないそうである。若い聞は、男でも女でも、好きな仕事をして食べていきたい、と思っているし、食べていける、と思い込んでいる。

どうりでファンも男の大学生ばかり、年寄りゃ女はいないはずだ。それを見ていて私は決めた。よし、新しくライブハウスの開店披露をする時には、この音を使ってやれ。それまで深夜スナックとして営業していた店は、夫の職業柄、組関係が出没し、拳銃は飛びだすわ、ビール瓶は割れるわ、庖丁は並ぶわで、すっかり雰囲気が悪くなっていた。ライブハウスに変えるといったって、なまじのやり方では、今までと同じで状態はよくならないかもしれない。きっちりケジメをつけるには、初日に思い知らさなきゃだめだ。これぞ新しい店のスタイル、と印象づけるようなオープニングをかまさなきゃ、ズルズルなしくずしになるにおもわ〈山下洋輔トリオの音は、そんな私の思惑にピッタリだった。暴力団は、やることは荒っぽいが、音楽は軟弱でないとだめなのである。こういう前衛暴力ジャズをやると分かったら、絶対に寄り付かないに決まっている。オープニングはもうこれに決まり。よそ「他所のピアノは壊してもいいけど、うちのピアノは壊さないで」とコソコソ頼みに行ったりしていた。彼は時々夫婦喧嘩の八つ当たりを、弦を切ったり、ハンマーヘッドを壊したりすることで晴らすという噂があったのである。すると彼は、「約束します。ロブロイのピアノは壊しません」と言った。事実、彼は約束を守った。ところが、なんとしたことか、オープニングと聞いてご祝儀に駆けつけた夫の親分が、この前衛ジャズをすっかり気に入ってしまったのだ。これは私の計算違いであった。新宿ヤグザだとばかり思っていた親分が、実はシカゴギャングだったとは||。そして親分は、自分の縄張りにあるジャズ喫茶で彼が演奏していると聞いて「そうか、彼に囲おうようったことができたら、なんでも面倒みてやるから」と、鷹揚にうなずいたのである。私は、このことを早速山下氏に伝えた。すると、麻布中学、高校、国立音大出身、二の天才ピアニストは、ちょっと戸惑ったような顔をしたが、すぐに気を取り直し、「ょ、ょ、よろしく言ってください」とつぶやいたの*何である。この時、チラリと「触らぬヤクザに崇りなし」というような表情が走った気がしたが、もちろんそれは親分に言わなかった。もしそんなことが親分の耳に入って、その時、たまたま親だが山下トリオの三人は、演奏には関係なく飲みに来ては騒いでいた。む分の機嫌が斜めだとして「フィンガカット!」なんて叫ばれたひには、山下洋輔も本当にヒジ打ちオンリーのピアニストになってしまうからである。

安部譲二は、幼年時代をこういう人びとに固まれて送ったのだ。ヤクザになっても、どこか違うという感じがしたのは、たぶん、それに起因していると思う。そして、本来ならこういう環境からは、あんな男は生まれないはずだが、とんでもない短気な性格と、義理と人情を求めての強烈なヤクザキ両が、彼を突然変異的な異分子に仕立て上げてしまったのである。私は、結婚して神戸の彼の家へ行った時、両親と彼との聞に、感情に関してはともかく、雰囲気においての違和感はまったく感じなかった。しかし、そんな場面に彼がつきあっている無頼の男が一人加わると、とたんにその男の周囲には、違う世界ができあがってしまうのである。その男も、それに気づいて、ひじように気まずそうだつたが、開き直ったが勝ちと思ったか、ヤケクソなまでにお行儀悪く振る舞いはじめたのだった。両親は戸惑ったような表情をしたが、ついに最後まで態度には出さず、温かくもてなしていた。安部譲二本人も、そんなことにはまるで気づかぬような顔で、ずっと自分のぺた。けれども、その男が帰って、家族だけになったとき、本当にすまなそうな声で、あやまと両親に謝っていた。スで通してい第七章余自分の心の命ずるままに生}る明六桝榔は「才能の切り売りはばりつεつけたLLi1’たが、当時、店はスナックだった。筒井氏は私にとって大学の先輩で、かっ、短期間だが父の生徒でもあった。そのことを彼の著作の後書きで知った私がファンレターを出し、それが縁で店に来るようになっていた。ぜひ聴いてみろ、と彼に勧められた私と夫は、さっそく新宿のHピットインμに、山下洋輔トリオの演奏を聴きに行った。聴いたとたん、今まで持っていた音楽観が吹っ飛ぶ。ついで人生観、世界観、宗教観全部がめまい粉々になったかと思うと、急にクラクラと舷量がして滝のような汗が流れ出し、心臓がでんぐり返ったあと、反対側へ移動した。中学時代にバイエルを少し奮かじった程度の私には、あの、まるで親の敵のようにピアノを叩きつける弾き方は、とても音楽とは思えなかった。あろうことか、ヒジでピアノを弾くなんて。夫は、「ボクシングだ、レスリングだ、これは格闘技だあ!」と、ひとりで興奮して騒いでいる。だが、私はもう一度聴きに行くことにした。ショックから立ち直ると、これじゃあんまり悔しいじゃないか、と思いはじめたからである。相手の正体くらい見極めなくちゃ。O同国司、--豆巳、、。百躍しふんしよし、めいそうそれにしても、こんなに暴力的な出会いは、ほかの音楽では経験したことがない。